戦災復興のばら
14/08/15
今日は69回目の終戦記念日ですね。
福山市の花がばらに制定されたのには、ちょっとしたエピソードがあります。
温暖な瀬戸内海の中央に位置する広島県福山市。
潮待ちの港として古くより栄えた鞆の浦や、鎌倉時代に明王院の門前町として栄えた草戸千軒などを擁し、江戸時代には福山藩として文化・産業を育んできました。
しかし、1945年(昭和20年)8月6日、広島に原子爆弾が投下されてから2日後、1945年8月8日に福山大空襲がありました。
福山の市街地の約8割が焼失し、多くの尊い命が失われました。
戦後の混迷を抜け出せない中、市民と行政が協働し、御門町南公園(現在のばら公園)付近に、
「戦災で荒廃した街に潤いを与え、人々の心に和らぎを取り戻そう」
と、1956年(昭和31年)の春、その公園にばらの苗木約1,000本を植えました。
住民が熱心に世話を続けたばらは、やがて真っ赤な花を咲かせました。
それから福山市の人々が、戦災復興への願いを込めてばらを大切に育てていき、1985年(昭和60年)4月、ばらが市の花に制定されました。
長年にわたって培われた市民の「ばら」への想いを市の象徴として位置付けたのです。
そして、現在では市民や団体,事業者などと行政が手を取り合い、「100万本のばらのまち」を目指し、福山ばら祭をはじめ、さまざまな活動を展開しています。
そこには、ばらを通じて“思いやり・優しさ・助け合いの心”を表す「ローズマインド」を育んでいこうという想いがあります。
今年もマチモトばら農園には、真っ赤なばらが咲きました。
ばらは一本一本手をかけて大切に育てています。平和も一人一人が大切に守ってゆけたらいいですね。